Our Story

ブランドストーリー~アレルギーと戦い続けた30年~

愛知県の中心都市名古屋のはずれで喘息を持病にもって生まれました。ローカル鉄道が通る線路沿いで父が営む習字教室が私の実家です。
毎日のように近所の子ども達が習字を習いに来ていました。
また、母親の生家も千種区で花屋をやっていたので、どこへ行っても必ず他人が家にいるような環境の中で育ち、人と接する機会が多かったのでコミュニケーション力必然に付いていきました。
この頃から親の影響からか、「いつか自分の店を持ちたい」と思いだし始めていたと思います。

小学生時代は自宅の習字教室に同級生がたくさん来ていたので、友達作りには事欠きませんでした。ただ、喘息の発作がいつ出るかわからない状態だったので激しい運動は極力避けるように言われていましたが、親の目を盗んで近所の子達と思いっきり遊んでいました。
しかし、どんなに楽しい時でも吸引器は肌身離さずにポケットに忍ばせてありました。
発作が出るとどれくらい苦しいのか体が覚えていて、「何が自分を助けてくれるのか? 何が苦しい自分を楽にしてくれるのか?」を小さくてもちゃんとわかっていました。季節の変わり目や、気圧の急激な変化が起こる時期は発作が起きやすく、何度も救急に運ばれました。
手先が器用なのか、細かい作業や何かを作る事が大好きで、高学年になると裁縫や洋裁に夢中になりました。
思い切り遊び、入退院を繰り返しながらすくすくと成長していきました。

中学は地元の公立ではなく、中高一貫の私学へ進みました。
教室で忙しい両親のために家事手伝いを姉と二人で分担して行う事にし、料理は姉、洗濯やお風呂掃除・食器洗いを私が担当しました。


突然起きた発作

photo by Lux Machina

学校から帰り、お風呂の掃除をする。洗濯機に洗濯物と粉石けんを入れて洗濯機を回す。夕食後の食器を洗剤で洗う。これが私の新しい日課となりました。
毎日の同じ作業を繰り返す中で、少しずつ体調に異変が起き始めました。
小学校高学年以降体も出来上がり、体力も付いていたので発作はほとんど出ていませんでしたが、中学入学から数か月で頻繁に出始めました。
入学や環境も変わったので少し影響したんだろうとあまり気にすることなく過ごし、家事を続けていました。
しかしその後、発作は治まるどころか日に日に酷くなっていきました。
「原因が分からない…」
原因が分からないものほど恐いものはありません。
私は毎日息苦しい暗闇を出口を探して彷徨うように原因を探し始めました。


原因が分からない。「家族に申し訳ない。」

日々ひどくなる発作の中、原因を探しますがこれといった確証の持てるものは見当たりませんでした。そのうち学校から帰宅しても苦しくてそのまま床に就く事が増え、家事手伝いは姉や母親に頼むようになりました。
しばらくすると体調は改善されました。
原因は不明のまま、発作が出た時は家事を休むという形で治まりました。
「家族に申し訳ない」気持ちと「自分ではどうしようもできない苦しさ」の中で辛い毎日を過ごしました。


発作の原因は洗剤?

高校卒業後、短大へ進み、地元の企業へ就職しました。発作の事全くといっていいほど出ずに、自分がアレルギーを持っている事を忘れてしまうほど改善したように思われました。
結婚し、家事を始めてしばらくした時突然発作が起き始めました。
高校卒業から数年、忘れていた苦しみが急に襲い掛かります。
一体、何が起きたのか分かりませんでした。
あの時と同じ苦しさ… 何が原因なんだろう…
当時を思い出し、共通する行動や環境を探りました。
「ひょっとしたら、洗剤?? 洗剤の何がいけないの??」
それから、私と洗剤との長い戦いが始まるのです。


あらゆる生活用品が私にとって天敵だった

photo by NIAID

当時はインターネットもない時代。頼れるのは図書館と本屋さん。できるだけ大きな図書館や本屋さんに行き様々な本を読み漁り、「何がいけないのか?」を探っていきました。
分かった事は、香料、合成成分、着色料などの合成成分に過剰に反応するという事でした。
洗剤以外にも消臭剤、防虫剤などの生活用品全般に含まれる成分によって発作が引き起こされる可能性が高い事もわかってきました。合成的な「におい」のするもの全般が発作を引き起こしているようです。生活用品には香料が多く含まれています。
洗い上がった後や、洗浄後の清潔感を印象付けたり、爽快感を演出するには必要不可欠なものであり、ほとんどの製品に含まれています。
製品にポジティブな印象を与える「香料」が私にとってはネガティブな発作を与える原因になっていました。
香料に敏感になっていた私は香りに関する情報をかき集め、身体にも優しく、知識を付ければ安全に使える「アロマ・ハーブ」にいきつき勉強しました。
そして、自分にとって良い香りを探し出し自宅内に香りを充満させて、日々を凌いでいました。
その後、生まれてくる子ども二人も私と同じ疾患を持って生まれてきました。


アレルギー性喘息の二人の子どもが安心して使える日用品を…

二人の子どもは私と同じように匂いに敏感で匂いによって発作を起こし、夜間に病院に行くことが頻繁にありました。ただ、原因は同じ匂いにありましたが、症状が出たり、本人たちが気にする香り成分に違いがありました。長男は入浴剤や芳香剤、石鹸に含まれるフレグランスに敏感で、頭痛や吐き気などを伴う発作を引き起こす時もありました。
次男は消臭剤に敏感で、デパートやホテル・遊園地などの公衆トイレでは息を止めてはいらないといけないくらいでした。
子ども達が安心して使う事のできる製品がないなら自分で作ってしまえと、手先の器用さと元来の物つくり好きな性格から、洗剤作りを勉強し始めました。
香りから始まった私の発作との戦いは石鹸作りへと変わり、今では入浴剤、クリーム、シャンプー、食器用洗剤、洗濯洗剤、お風呂洗剤、消臭剤、虫除けスプレーと自宅の生活消耗品のほとんどを自分で作る事で、発作の出ない環境のコントロールを図る事ができています。


化粧石鹸の認可を取得できたから販売する事を決意

使用する日用品をほとんど自作で賄い、発作の起きない安定した生活を送っていました。
ある日、ふと「同じ悩みで苦しんでいる人はいるんじゃないか?」と思いました。
ただ、私が作る製品は「雑貨」。何の説得力も持たないただの石鹸。インターネットでより良い情報が得られると言えども、やはり印象として雑貨を超えるものではありません。
そんな時に、化粧品製造販売許可の機会を頂きました。
これにより、私の販売する製品は薬事法の許認可を得た正式な化粧石鹸として認可される事となりました。
人生とは数奇なものであり、自分を苦しめた病気が自分を支えたり、自分の存在を誇示するものになる事がある事を知りました。

60歳を迎えた今日、これまで積み重ねてきた経験を活かして新たなスタートを切ります。

2016.3.18 T-Style 代表  いずみ たえ

※2019年11月現在、化粧石鹸の販売は致しておりません。
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ABOUT “T-Style”

日用品に含まれる"香料"や"添加物"などの化学物質アレルギーに、30年以上悩み続けた当社代表が"T-Style"を始めていく経緯や、何を大切にして製品作りをしているのか?を3つの「テーマ」で詳細に説明します。